「ギフテッド」
独身のフランクは、亡くなった姉の娘メアリー7才を育てている。
メアリーには特殊な数学の才能があった。
亡くなった姉の遺言に従って、フランクはメアリーを普通の子供として育てようとしているのだが、登校させた地元の小学校でメアリーは小学1年生レベルの算数にブチ切れしてしまい、その才能が学校に知られてしまう。学校からはギフテッドと呼ばれる子供のための私学へ転校を進められ、突然家にフランクの母親(メアリーからみると祖母)がやってきた。祖母はメアリーに、天才としての特殊な教育を施そうと執念を燃やしていた。
フランクはメアリーを「普通に」育てて一緒に暮らしたい。
祖母はメアリーを、普通に扱うのは育成の怠慢であると言う。
才能を伸ばすためには多少の犠牲はつきものだと。
フランクと祖母は、ついに法廷で養育権をめぐって戦うことになる。
そこで明らかになっていく、祖母の娘に対する特殊な教育と、フランクの元の職業。
果たしてメアリーはどうなるのか、・・・・・という映画。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
映画が始まって間もないあたりから、
言いたいことが多すぎて、
もういっそ私に育てさせろーーー!
と叫びたくなる映画だった。
ラストは観客のほとんどが納得するであろう納得の落としどころに落ち着いて、
めでたしめでたしなので、見終わった時の気分は良いのだけど。
それにしても、あんな素晴らしい才能を持っているのに、
なぜ、それを幸せになるための武器のひとつとして使おうとしないんだ?
そこらへんがよく分からない。
それに、特殊な才能だけを生かして、なんで他を全部捨てようとするのだ。
だいたい、その特殊な才能を存分に発揮するためにも、
子供のうちに体力をつけるとか、保健衛生上の基礎知識とか、
ストレスを感じたときのコーピング技術習得のために、やりたいと言うことは大小に限らず数多くやらせてみて好きなことをなるべく数多く発見させるとか、脳の他の分野を刺激して脳全体を発達させるために体を使って遊ばせるとか、そういった大人になってからの才能発揮に必要な長期的視野に立った育成をなぜしないのだろう。閉じ込めて勉強だけさせるのはあまりにも視野が狭すぎる。
叔父の方だってそうだ。
「普通」って何なんだ。
全てを平均的にすればいいのか。
得意で夢中になれることを、人より出来るからって隠さなくちゃいけないなんてバカげている。
でも、総じて叔父の方が遙かにマシ。
素晴らしいお隣さんもいるし。
それに、ここまではフランクが教えたんだよ。
・・・隠そうとしたのは毒親からの追跡と干渉を逃れるため?
それにしても、こんなに本人の意思や意向を完全に無視するものなんですかね。
裁判所の審判もそうだけど、熱心にやってることをバッと取り上げるシーンも結構ある。
最近Twitterで見つけたツイートで、
10才や8才や5才の子供に自分の意思なんてあると本当にお考えですか?
という発言を見たことがある。
私にとっては、少なくとも10才児に自分の意思なんてないと考えるなんて、本気で言ってるのか、と思ってしまうのだけれど、子供なんて近くにいる大人のいいなりで自分の意思なんてないと考える人はそこそこいるのかもしれない。その人たちの子供時代の記憶やその頃の感情はどうなってるんだろう。
ーーーーーーー
あと1カ所分からないところが。
祖母がメアリーを見せに行ったシャンクランド博士は、
あれはわざと問題を間違えたんでしょうか。
そんなかんじでもないですよね?
とすると、
・自分が出題した問題のミスにひとつも気づかない
・助手が指摘しようとしても聞く耳を持たない
それってたいした先生じゃないんじゃ・・・
------------------
わりとボロクソ書いてますけど、良い映画です。
メアリーはかわいいし。
あと、
将棋の藤井聡太(いま何段だっけ)は、
良い師匠に出会って良かったなと思いました。