ぼちぼちおうち生活

浅く薄く移ろいゆく趣味と住居の覚え書き。

「思い出のマーニー」

こじらせまくった思春期の女子12才が夏休みを利用して

自然豊かな親戚の家にやってくる。

水辺のほとりには古い洋館が建っていて、

空き屋のようなんだけど・・・夜になると明かりがともる?

マーニーと名乗る同年代の金髪の女の子と出会って、

その立派なお屋敷に案内される。

でも昼間、行ってみるとやっぱり門柱はさびついてペンキもボロボロ・・・

・・・・だいたいそんなようなお話。

繊細で情緒豊かな映画でした。

これ、舞台は現代だったんですね。

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うーん、思春期の女子というのはこういうもんなのか。

札幌の公園って、

一番いい場所に芝生でおおわれた謎の小山があって、

その小山の周辺はスカーっとひらけてて、

遊具はそんなにごちゃごちゃしてないような・・・とか、

トマトの生育温度に足りないから地植えで加温無しだと

あの大きさには成長できないのでは、とか

(札幌で見た地植えのヒマワリ・アサガオの可哀想なことといったら)

亡くなったとはいえ両親や祖父母等について、

情報も遺品も全く無し、里親にも知らせないものなのかな、

とか、

まったくどーーーでもいいですね。はい、すいません。

きっと、主人公の孤独感や心情に共感する人にとっては、

その人にとって特別な映画になるのだと思います。

まずは見てみるといいと思います。

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追記。

やっぱり正直に書こう。

この映画は好き嫌いがかなりはっきり分かれるらしい。

そして好きな人からすると、嫌いな人は人生経験が未熟なのだそうだ。

しかしながら、これは誰に共感するかによって好き嫌いが分かれるのだと思う。

私は里親に感情移入してしまった。

育てのお母さんですね。

心因性とも思える喘息を持った娘に対して、

掃除だってみっちりしなくちゃいけないだろうし、

心配性になるのも理解できる。

それを馬鹿にして、

「メエメエうるさい山羊みたい。」

滞在先の親戚のおばさんは大らかなかんじで、

映画ではとても好意的に描いてるけど、

でもちょっと待って。

あれを第一責任者(母親)がやったら、

探しにもいかないなんてやっぱり愛情が無いのね、

なんて言われちゃうんだよ。

そして映画の結論は、血のつながりの神秘でしょ。

なんかもう気の毒というか腹立たしいというか。

自分が嫌い、という人は、みんな暴言を吐くものなのでしょうか。

むしろ、周囲に気をつかって息をひそめていそうな気がしますが。

親切でおせっかいな相手に「太っちょブタ!」と言い放ち、

「あんたはあんたのようにしか見えない」と言い返されて大泣き。

ごめん、わかんない。

あんたはあんたのようにしか見えない、って当たり前じゃん?

コスプレしてるわけでも、役に入ってる役者でもないんだから。

(ここでこう思う人は完全にこの映画に向いてない)

映画の終盤になってそれがなぜなのかは判明するけど、

見てるときには、(誰も彼も自分さえも嫌いなのに、

金髪碧眼のお人形みたいな可愛いマーニーだけは

出会ってすぐに大好きになるのね)

なんて思っちゃって、モヤモヤしてしまった。

まあ中学生なんてそんなもんか。

この映画の、好きな人と嫌いな人の割合ってどのくらいなんだろう。

私はこれから娘の心配をするたびに、

「メエメエうるさい山羊みたい」

って、声がよみがえって苦しくなりそうです。