ぼちぼちおうち生活

浅く薄く移ろいゆく趣味と住居の覚え書き。

「ゆれる」の感想も揺れる(ネタバレ)

きのう観た映画「ゆれる」が気になって。

あの場面ってどうだったっけ、とか、

もう一度ちゃんと確認したいところがある、とかで、

ところどころ見直してみた。

ミノル(兄)は助けようとした。

えん罪であるのは確か。

助けようとしてついた爪の跡が傷になって残ってる。

(これがまた最初の、吊り橋の上でワイヤをつかんでガクガク震える兄に弟が話しかけるシーンでは、うまーいこと肩の向こうになったり腕の反対側から撮ったりして、一瞬しか画面に映らないようになってる)

だから、タケル(弟)があんな証言さえしなければ、と、昨日は思った。

実際は遠くてはっきり様子が見えたわけではなく、

会話の内容も聞こえてなくて、

思い出すたびに記憶が曖昧になっていく中で、

最後に証言台に立った時にはそう思った、という

タケルの主観でしかないだろうと。

タケルがわざと嘘をついたとは思わない。

その時は、兄がやったと思ったのだろう。

でね。

タケルがあんな証言をしなければ、

いやそもそもあの子に手を出さなければ良かったのに、

そしたら親父さんも叔父さんもあれほど傷つくこともなかったのに、

タケルの無責任で刹那的な行動のせいで・・・・タケルが悪いんじゃん!

と思ったんだけど、

今日見直してたら(全体じゃないけど)ひょっとして、

ミノルが、わざとタケルにああいう証言をさせるように

し向けたんじゃないかと思えてきた。

事故を引き起こしたのは自分のせいであることには違いない。

だからずっと自分のせいだと言っていたし、

「自白」したのも元来真面目で責任感が強くて不器用なゆえだろう。

でも面会室でぶち切れた時に、

なにかが吹っ切れちゃったんじゃなかろうか。

もう、自分を押さえて生きられない。

あの閉塞感には戻れない。

弟の行動パターンはある程度読めている。

どうしたら怒るかも良く知っている。

だって、弟だから。

だから無罪になりそうな雰囲気になり、

あの家、あの生活に戻ると思った時に、

それをひっくり返したくなった。

そのために弟を利用した・・・・ような気がしてきた。

最後のシーンで、道路の向こう側からタケルがミノルに、

「にいちゃん!」

と呼びかける。

ミノルが気付いて、ふっと笑みを見せた瞬間にバスが到着して姿が隠れる。

そこで映画が終わる。

もう、幾らでも、

見た人の人数分だけ解釈と想像が膨らむようなシーンで、

あの笑みの意味は、とか、

この後バスに乗っちゃうんだろうか、乗らないんだろうか、

乗らなかった場合どんな会話を交わすんだろう・・・とか

いっぱい考えちゃうんだけど、

私は甲府行きのバスに乗っちゃうと思うなあ。

そしてそのままどこかに消えて、家には戻らない。

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と、今日はこう思っている。

一年後とかに見直したら感想が変わってるかもしれない。