永遠の愛というもの
小学生の頃。
「永遠の愛」という言葉そのものが意味不明だった。
どういう語法でどういうところで使う日本語かは知っているが、
なにしろ「永遠」も「愛」も、目に見えなければ触ったこともない。
どっちもよくわからない言葉が二つくっついているのだ。
中学生~高校生の頃。
なにやらロマンチックな言葉だと認識していたように思う。
少女漫画とか、乙女なお話の中に出てくる、何かステキなこと。
それを見つけると幸せになれるのだ。
そんで、赤い糸で結ばれているのだ。
高校生くらい~二十代中盤くらいまで。
ブラックホールやサンタクロースなどと同様に、
世界のどこかにあることはあるらしいけれど、
まず普通にそこら辺にあるものではないらしいと思う。
というか、兄に教育される。
「男はみんなオオカミな上に移り気だ。」
「基本やりたいだけなんだから信用するな」
などなど。
二十代中盤くらいから数年前まで。
一流ブランドのバッグや靴を、「一生モノですよ」というのと同様、
10年以上長持ちするものは、とりあえずそう呼んで良さそうだと思う。
大事なのは、ずっと大切にしようと思う気持ちと日々の手入れ。
きちんとしたメンテナンスこそが、一生モノたり得るかを決める。
それに、男がみんなオオカミで移り気だというわけでもなさそうだと分かってきた。
数年前。
一生独身かと思っていた兄が結婚した。
決してモテないわけではないのだが、なんというか、
それまではちゃんとしたつきあいをするのが面倒だったように見えた。
あれほど真剣でベタ惚れな兄を見たのは初めてだったし、
お嫁さんの親族席では何人も、まだ入場する前から嬉し泣きしっぱなし。
そうか。「永遠の愛」を誓うというのは、こういうものなのか、
と初めて思った。
最近知ったこと。
「永遠の愛」=「永遠に続く魔女の呪い」。恐ろしいものなのだ。
いったんはまりこむと自らの意志ではどうにもならず、永遠にもがきつづける。
リセットボタンを探すが見つからない。
デリートキーも効かない。
どうしたら救われるのか。
何か助ける方法はないものか。
それは静かに降り続ける雪のようだ。
降り積もる雪は一見すると美しいかもしれないが、
時を追うごとに重量を増してゆき、枝を折る。