占いの当たり加減
プログレスをやってみて、占いの当たり加減というものを考えてしまった。
あんまり当たりすぎる占いってのはどうなんだろう。
何かのお話(コミックだったかも)の中で、占い師は自分のことを占ってはいけないなんて書いてあったシーンがあって、何言ってんだい、まずは自分のことを占い倒して実験台にするんじゃんか、と思った覚えがあるけれど、なんというか、知らない方がいいところまで占っちゃってブルーってのはあるよね。
プロになる場合、占いの精度とか確度ってのはもちろん大事だけど、それ以上にお客さんとのコミュニケーションとか、どんなふうに伝えるかっていう部分がすごく大事だったりするわけで、お客さんが「占ってもらって良かった」と思えるように、お代に見合う満足を感じてもらわなきゃいけないわけで、伝える時にはその占い師さんのフィルターなり人柄なりで濾過して、伝えない方がいいこと、占わない方がいいことは黙ってるじゃない?
そもそも聞かれたこと以外は見ない、とか、占うこと自体をタブーとされている事柄もあるし。
なんというか、確度が高すぎるときにはフィルターをかける、楽しむための占いだったらテレビの12星座占いくらいのゲーム感覚で大雑把なものにした方がいいんだろうか・・・なんてことを考えた。
占いってある程度当たらないから楽しめるもの。
ゲーム感覚のものか、まったくの他人に占ってもらってドライに、かつ思いやりをもって伝えてもらうというのが正しい付き合い方なんだろう。たぶん。
あとこれは、もしかしたら占いということよりも、「知りすぎること」についての問いなのかもしれない。
村上龍は何かの著書の中で、無知は罪である、と書いていた。
子供の間は、だって知らなかったんだもん、で済むことも、大人になったらそうはいかない。
知らなかったでは済まない。知らずにしてしまったことでも罪は罪として償わなければならない。
・・・そんなような内容だったと思う。
だけど知らずにいた方が幸せな事だってあるし、「知らぬが仏」なんていうことわざもあるし、奥さんが鶴だったり狐だったりすることを知ってしまったがために奥さんは山に帰っちゃったりもするわけで、そのあたりはどうなんだろうな、と思ったりもする。さじ加減というものなんだろうか。知られたくない事だって、あるし。
そういやうちの中学生は、理解はして欲しいけどあまり身辺を知られたくないみたいだ。
そのくせ分かっていてくれるのが前提。やれやれ。
こっちは全責任を負わなければいけないのだし、何が出てきても受け止めざるを得ないのだから、知らせたくない知りたくないような事であればあるほど早めに知らせて欲しいものである。
鶴だったり狐だったりしたことをダンナさんに知られて山に帰っちゃった奥さんは、知られたらダンナさんの態度が変わると思ったんだろうか。知った上でなお全てを受け入れる度量がダンナさんには無いと思ったんだろうか。
未来を知るということは、知りたくないことが出てきても受け入れる覚悟があるのかどうか、自分に聞いてからにしなければいけないのかもしれない。
・・・なんて、ここまで自分の占いで考えたことなんて無かったなあ。
もっとも、転勤は早めに教えて欲しいし、もっと早く匂わせておいてくれたら準備もできたのに、と思うことはあるから、やっぱり知りたいと思ってしまうんだろうな。たぶん。