ぼちぼちおうち生活

浅く薄く移ろいゆく趣味と住居の覚え書き。

妄想かもしれないし

この頃よく考えるんだけど、

妄想と幻覚と現実の境目って、どうやって見分ければいいんだろうな。

たとえば、ちょっと常識的に考えて、現実とは思いがたい何事かがあったとする。

 ありえない。

 誰に話しても信じてもらえない。

 こんなこと言ったら変に思われる。

その時に、他にもソレを見たとか聞いたとか知ってるとか言う人が出てくれば

その瞬間にそれは現実だという保証になるよね。

たとえば「オーラの泉」。

あの番組が画期的だったのは、

江原さんと美輪さんと、他の人たちには見えないものが見える人が2人いて、

「ねえ、あのおじいさん誰かしら」

「あの白いあごひげの人ですよね?」

「そうそう。」

「私もさっきから気になってたんですよ」

なんて会話がなされるところだと思う。

一人だけだと信憑性に欠ける(だって他の人には誰にも見えないんだから)ところを、

2人で話が合ってる上に、ゲストの反応が補強するから、

ソレはあるものだという世界が成り立っていくわけだよね。

でもさー。

私みたいに、いつもいつも、

毎日ほとんどの時間を一人で過ごしていると、

それがないのだ。

心霊現象ならね、まあいいわけよ。

その存在そのものを信じる信じないの違いはあっても、

まあある程度の社会的同意ができてると思うし、

そもそも、見えても見えなくてもどっちでもいい。

たぶん大抵は、気のせいとか見間違いとかで済ますよね。

スピリチュアル系じゃない「ありえない事」って、

自分の中でどう位置づけすればいいの?

ウィキペディアによると、

妄想についてはこんな記述がある

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本人が妄想であるとは自覚していない(「病識」がない)ことが多いが、漠然と非合理性に気づいている場合(いわゆる「病感」がある状態)、あるいは他者の前では隠すことができ生活に適応している場合(いわゆる「二重見当識」)など様々である。

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ひょっとしてこれが「漠然と非合理性に気づいている場合」とか、

「他者の前では隠すことができ生活に適応している場合」とか、

そういう状態でないと断言できるだろうか。

できないよな~~。

他に証言してくれる人もなく、確信を持てるような物証もなく、

常識と照らし合わせて、現実とはとても思えない場合。

やっぱこれは、「気のせいだった」として処理してしまうのが正しいよね?

そうだよね?

それが健康的だよね。

そうだよ。

その「現実とは思えないソレ」はぎゅうぎゅうと圧縮されて小さくまとめて、

頭の中の小さい段ボールに入れて、ガムテープをして、

押し入れの奥にでもしまってしまおう。

出しっぱなしじゃ暮らしにくい。

やっぱり現実だった、と思うできごとがあった時に出せばいい。